Diary 25.07.18 ノスタルジーの維持には共感ではなく支払いを
「あの懐かしい街が変わってしまった…残念だ」という意見を目にすると構えてしまう。
そのノスタルジーは税金では維持できない。
なぜならそれは人が営んでいるから生まれる景観である。生きるために働き、生まれ持続された街並みなのである。つまりはそれぞれの店舗が持続的に商売ができなければ維持できない。
そこにある婦人服のお店も花屋も小料理屋もみんな生活できなきゃ店は畳む。
必要になるのはその街に対する商売としての需要である。
以前からの住みやすい街はさまざまな種類の小売店が店を構えていた。今ではそんな街は極端に流入数も増え、需要が高まり、大手資本にとっては格好の進出先である。小さな家屋をまとめて買い上げ、大きなビルにする。大きなフロアテナントを借りられるのは大手だけ。この街にしかない魅力は消え、いつの間にかどこにでもある街になっている。
この事態を僕は憂うわけではない。変わってしまったと悲嘆する人はどのように街と関わっているのかを問いたい。消費者なのか、傍観者なのか。