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Diary 25.05.04


連休の渋滞を避けるべく5時出発、4時間もの車旅であった。霧島に着いた。目的は高千穂峰に登るためだ。出発前の1週間前から心配していた天候は晴々としていた。

最初は霧島神宮へ参拝。連休を賑わせるであろう出店も早朝だったから準備中であり、参拝客もまばらである。安全祈願をする。

車道は柔らかな木漏れ日の白とそれに照らされた万葉の緑で満たされていた。どこからともなく遅咲きの桜の花が舞っている。歳を重ねてこの景色がいかに貴重なことなのかわかるようになり、心を弾ませることができるようになった。年の功だ。

先ほどの新緑とうって変わって登山道は生命を感じない。霧島火山群である一帯は火山灰により木々は生い茂ることはない。冒頭には低木はあれど、影を提供してくれるような大木はない。初夏の日差しを身をもって感じる。

急勾配の岩稜を歩き、時には滑る。1歩踏み締めると細かな砂利と火山灰はグッと足をとり0.5歩分戻る。そんな中でも身体の使い方を確認するように登りふと後ろを振り返る。眼下には登ってきた道程と桜島まで平野部が広がる。登っては振り返り、感動をし気持ちを高める。

火口と斜面に挟まれた馬の背は道幅5mほど。大きな火山からしてみたらエッジのように細い。火口から噴き上げる風は台風にも勝るだろう。

最後の岩稜を登る時には一つ一つ足を踏み込む場所を確認する。地面なのか、岩なのか。近い頂きを確認したいというはやる気持ちを抑え、しっかりと足元を目視する。

顔を上げると日本の建国神話の冒頭に登場する天の逆鉾が在った。決して人間の手には扱えないサイズである。もちろんレプリカであるがそんな野暮なことはすっかりと忘れていた。

山頂は火山灰が散っているからなのか、存外草木が萌える。霧島という名前の由来は遠方から眺めたときに山に霧がかかり、島のように見えたことによるとされている。その山は高千穂峰とされている。しかし霧は愚か雲一つない快晴のおかげでどこまでもどこまでも景色が続く。行きがけの険しい道程はその景色のほんの一部であった。

その場にいた誰もがこの景色に、空気に、時間に満足していた。連休の時間を割いてやってきた誰もが和やかである。

下山の折、透明のビニールに包装されたチョコレートが落ちていた。荒涼とした火山灰の黒々とした土の上にポツンとあるそれは色目は馴染んでいるものの、心象として不相応であり、嫌悪感に近いものが湧いた。手に取りポケットに収める。昨日の自分なら同じことをしただろうか。

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