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Diary 25.09.07 佐伯氏のインタビューを読んで書き殴り


「デザイン経営」は新しいステージに。デザイナーは役割の拡張よりも「とがった」造形で世界を目指してほしい(Diamond online 2025年9月1日 5:00)

経済産業省 デザイン政策室 前室長・佐伯徳彦氏に対するインタビューである。デザイン経営のスポークスマンとしては田川欣也氏や永井一史氏、林千晶氏らが全面に出ていた印象がある。(いやはやうろ覚え)

デザイン経営を提言した際には特許庁も力を入れてIPによる競争力を高めることもぼんやりと覚えているが今やデザイン経営を口にするものは少ない。最近でもデザイン経営に関する新書が出ていたが、やっぱり当時はデザインバブルだったというのは否めない。さて、そのため今振り返る価値がある。政策で支援してきた佐伯氏だからこそ見える観点も見られる。いずれの佐伯氏の指摘はとてもごもっともなものである。

――そもそもデザイン業界に海外を目指す意欲があまりないということでしょうか。

 そうですね。私が昨年(24年)7月の着任以来、日本のデザイン界の方々と意見交換させていただいた感想としては、海外への訴求を意識しているデザイナーは想像以上に少ない。これには率直に驚きました。

・・・・・・(略)

――なぜでしょうか。

「モノからコトへ」と盛んにいわれるようになり、「コトづくり」の重要性がいささか強調され過ぎていることが理由の一つではないでしょうか。

 本来、「デザイン」という言葉には、「モノ」も「コト」も含まれています。しかし、デザイン業界には「モノづくりよりコトづくりが重要だ」と堂々とおっしゃるデザイナーの方々が少なくありません。「造形としてのデザインよりコトづくりに興味がある」という学生の皆さんや、こうした姿勢を肯定するアカデミアの方も増えています。

 もちろん、「デザイン」が「意匠」や「造形」だけでなく、「設計」やユーザーの利用体験まで含む概念であることは私も分かっています。しかし、実際にモノやサービスを購買するとき、やはり造形美は欠かせない要素です。経産省としては、「造形」を軽視するかのような言説には強い危機感を覚えるのです。

「コトづくり」のユーザーとして基本的に日本人が想定されていることも懸念の理由です。内需が縮小する中、外需をいかに取り込むかがますます重要課題になっています。海外市場においては、最終的には「造形」の審美性こそが強みになるのではないでしょうか。

 しかし、わが国を代表する「グッドデザイン賞」でも、造形美が正面から論じられにくくなっているように感じます。GKデザイン機構の田中一雄さんは、『デザインの本質』(2020年,ライフデザインブックス)という著書の中で「現在の日本デザイン界においては、依然としてコトのデザインに対する注目度が高いように思える。しかし、どんなに課題解決されたものであっても、またいくら新たな価値を生み出すようなものであったとしても、それ自体の姿や質がユーザーの心に訴える魅力的なものになっていなければ、社会や生活者に受け入れられることは難しい」と語っています。私たちの危機感は、まさにここに書かれている通りです。

モノからコトへと進めるあまり、コンテクストを理解できる市場・消費者に向けたモノづくりしかできず、クリエイターの多くは内需にしか向き合えなくなったというお話。あまりにもうなづける。そういえばグッドデザイン賞の審査員なんて意匠見てる人がどれだけいるんだろうかって顔ぶれになったとは思ってた。

――そのために、デザインに何を期待しますか。

平たく言えば「かっこよさ」です。デザインという概念には、造形=モノづくり、体験設計=コトづくりの両面が含まれていますが、「消費者の購買意欲」は、最終的に造形のオリジナリティーや創造性に帰する部分が大きいと考えます。それができるのがデザインです。それなくしてブランド価値を生むのは難しい。

――経済産業省としてはこれからのデザイナーに何を求めますか。

「『デザイン経営』宣言」とは矛盾するかもしれませんが、まずはデザイナーの方々に、世界のいいものをたくさん見て感性を磨き、造形のクリエイティビティを高めていただきたい。感性なり、経験なり、知恵なりを熟成させて唯一無二の意匠に昇華させてほしい。

 デザイナーは経営を担うより、造形を極めてもらった方が競争力に直結するのではないでしょうか。それを経営にどう生かすかは経営者の責任です。そして、経営側には、統一的な造形やデザインを複数の製品・サービスに適用して、消費者により分かりやすく訴求力のある形、「IP」となる商材を出していただきたい。このままでは日本から「とんがった意匠性としてのデザイン」がどんどん失われてしまうのではないかと危惧しています。

とてもうなづける。これをクリエイターサイドの方ではなく、官僚サイドの方が言うのだから驚きである。

デザインの風呂敷を広げすぎて誰もがデザイナーになれたけど、結局職人と呼べるような人は少なくなったと思う。それはcanvaの台頭にも見られる。illustratorは古くて、Canvaは新しいという。しかしcanvaは文字詰をすることができない。そんなアプリでもどかしさを感じない人をデザイナーとは呼びたくない。

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